のっちゅん、ごめん
不憫だ。私の子供として生まれて、本当に可哀相だ。のっちゅんの心を想い想像すると、パパなんて死んでしまった方がいいと思う。情けない親だ。でもごめんな。パパも生きていかないといけない。のっちゅんのパパとして生きていかないといけない。傲慢だ。
親子ってなんなんだろうな。喜びは大きいが、悲しみは谷のように深い。のっちゅんのためなら死んでもいい。目に入れても痛くない。だけど、その正反対のことも思ってしまう。
のっちゅん、のっちゅん、のっちゅん。君のことだーいすきなんだ。どうか、パパが休んでいる時だけは手を出さないでね。
戦友を食べて生き残った兵士は、帰国してこう語った。「自分の心は永遠に救われない」と。
なぜだろう?救われないのは心だと言っている。心が救われないと。じゃあ心が何から救われないの?
食欲がなけりゃ生きていけない。イイ欲と悪い欲があるんだよ。という人がいる。そんなもんじゃねーよ。それは表面だけのこと。飢餓になれば友人ですら食べちゃうのが食欲なんだ。普段は切羽詰ってないから可愛く見えるだけ。そんな心を無意識に抱えて生きている。
悪性さらにやめがたし こころは蛇蠍のごとくなり 修善も雑毒なるゆえに 虚仮の行とぞなづけたる
(親鸞聖人 悲嘆述懐和讚)
親鸞聖人が見られた人間の実相とはいかなるものであったのか。想像せずにおれない。